black%2520cap%2520of%2520university%2520student

1: ジャガランディ(やわらか銀行) 2013/06/01(土) 13:32:05.20 ID:wDX3appr0● BE:1063680285-PLT(12001) ポイント特典
GW合併号特別企画 第1部?学校名が生きるのに邪魔だった 社会に出てつくづく感じた受験秀才の「限界」開成、灘、筑駒 卒業30年後の「神童」たち

天才と呼ばれた子どもたちは、大人になって幸せになったのだろうか

「小学校時代は神童と呼ばれました」。3校の卒業生は必ずそう言う。少しズレた感覚で青春を送った彼らも、大人になり、50歳を前にして思う。俺はいつから「特別な人間」じゃなくなったのか?。

「自分は特別なんだ、ずっとそう思って生きてきました。でも自分の会社人生の先が見えてきて、気づいたことがあります。ひょっとしたら、灘高卒という学歴は俺にとって邪魔だったのかもしれない、って」

そう語るのは、メーカー勤務のAさんだ。小学校時代はもちろん「神童」で、東大法学部から大手メーカーに就職。自分では同期の誰よりも優秀だと思ってきたが、50歳を前にして、役員になれないことがハッキリとわかった。

「中学生の時代から、親であれ親戚であれ、同級生であれ、『周囲に尊重されている』という安心感に包まれて生きてきた。しかし、会社組織はもちろん、自分が築いた家庭においても、無条件に尊重されることはありえないんですね。家では妻に役立たずと言われ子どもに無視され、会社も私を役員には選ばなかった。

灘高卒でなければ、もっと謙虚に生きられたかもしれない。そう思うことはあります。それでもなお、私にとって『灘高を出た』という事実は大切です。理屈ではなく、心と身体に染みついた、大切なアイデンティティなんです」

>>2以降に続く)
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/35789


Sponsored Link
この続きを読む